公開: 2021年4月22日
更新: 2021年5月30日
20世紀初頭、ドイツの社会学者、マックス・ヴェーバーは、産業革命を終えて、産業化社会へと突入し始めていた米国社会を見て、米国社会の根底にある人々の、勤勉を重んじ、浪費を嫌うブロテスタント的な態度と、自分が携わっている仕事から得られる収入を、可能な限り多くしようとする合理的な考え方が、米国社会をしてヨーロッパ諸国を凌ぐ経済発展をもたらすと予言した。
それは、「お金を稼ぐ」ことを目的として働くことを「良い生き方」としない、カトリック的な思想も、当時のヨーロッパ社会には、まだ根強く残っていたため、ヨーロッパにおける資本主義の発展には、限界があると感じられたためのようである。20世紀を通して、米国社会はヴェーバーが予言したように、急激な経済発展を遂げ、世界一の国内総生産(GDP)を誇る国家となった。
ヴェーバーは、資本主義が北ヨーロッパを中心としたプロテスタント諸国で、急速に発展したことに注目していた。彼は、ルターが説いた「天職」の考え方や、カルバン派の「庶民が働くことは、神の意志に基づくものであり、一生懸命に働くことが「救い」につながる」とする労働倫理観が、資本主義の発展に大きく寄与していると主張した。特に、カルバンの説いた「神は最後の審判で、誰を救い、誰を救わないかを決めているが、人にはそれが分からない。もし、人がその人生において、一生懸命に働いていない瞬間があれば、それを見た神は、その人を救わない。」とする考え方が、人々の生き方に影響したと、考えた。自分が救われるかどうかを知らない人々は、最後の審判で、自分が「救われるために」、一生懸命に働いているとしたのである。
しかし、20世紀の末になると、20世紀の半ばまで、米国社会を律していたプロテスタント的な倫理観は、社会の中から薄れ始めた。その結果、米国の資本主義は、利益の追求を求めるだけの強欲資本主義と変わっていった。事業の内容が倫理的であるかどうかは問題にせず、事業を行うことでどれだけの利益が得られるかが問題にされるようになったのである。リーマンショックを引き起こした原因も、そこにあった。
プロテスタントの倫理と資本主義の精神、マックス・ヴェーバー、岩波文庫、1989